ストレスはあるもんだと思っておくと、気が楽になる 内藤誼人「いちいち気にしない心が手に入る本」
皆さんは嫌なことがあったり、悲しいことがあったとき、引きずってずっと考えてしまうタイプですか。
それとも、しばらくするとケロッと忘れてしまうタイプですか。
私は圧倒的に前者で、しょうもないことでずっと落ち込んでしまいます。
打ち合わせで先輩に言われた何の気なしの一言、友達にいじられたこと、店員さんに素っ気ない対応をされたことなど、些細なことなんですが、ずっと頭から離れません。
考え込んでしまう度に自己嫌悪に陥っていたのですが、最近本屋でたまたま見つけた本で、私に効きそうなものを見つけたので、買って読んでみました。
内藤誼人「いちいち気にしない心が手に入る本」です。
今日はこの本から面白かったエッセンスと私が取り入れたいと思ったことをお伝えします。
「もう少し鈍感になっても大丈夫」と言ってくれる本
この本は、些細なことにずっと悩んでしまう人は、「もう少し鈍感になっても大丈夫」と言ってくれます。
そもそも全ての事柄に反応しなくてもいいといった考え方のチェンジから、姿勢や言葉によって気持ちを上向かせるテクニックまで、様々な方法を提案してくれます。
「いい人」よりも「ナルシスト」になる方が気楽に生きられる、というのは言い得て妙です。
私自身は繊細とか敏感な人間だとは思っていませんが、変なことに囚われてしまうことが多いので、もう少し緩く考えるようにしたいな、と思いました。
「ストレスはあるもんだ」と達観する
一番刺さったのは、「ストレスはあるものだ」と達観すると心が疲れない、ということです。
私がストレスを抱えるのは、他人にちょっとしたことを言われて、後々気になってしまうということです。
他人に言われたことを思い出すのがストレス、ということを分かっていれば、自分はそういう時にストレスを感じるもんだと分かっておけば、確かに気が楽になりました。
今思い出してストレスになってる!って気づいた時は、それを受け入れながら、深呼吸したり軽くストレッチして気分を切り換えればOK。
自分のことを分かっているだけでも大分楽になりました。
この本を読んで、ストレスとの向き合い方が少し分かり、気持ちが楽になりました。
「ナルシスト」になれるほど、まだ自分のことを好きにはなれませんが、ちょっとずつ自己肯定感上げていきたいと思います。
他にも参考になるコツがたくさん載っていて、勉強になる本でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「わかりやすい」パラダイムからの脱出ーーー鈴木哲也「学術書を読む」
学生でなくても、誰もがなにがしかの「自分の専門」を持っていると思います。
もちろんその「専門」を突き詰めていくことは大事ですが、「専門バカ」に陥らないためにも、他分野の勉強をすることも必要になります。
ではどのように他分野を学べばいいのでしょうか?
鈴木哲也「学術書を読む」を読み、他分野との向き合い方、そして「わかりやすい」ことの危険性を考えました。
他分野を学び、対話に備える
現代社会は、福祉に限らず防災、環境、教育などなど、数え切れないほどの社会問題があり、その解決策を実行していくための合意形成をしなければなりません。
例えば児童虐待の問題を考える際には、福祉的視点だけでなく、教育上の課題、法学的課題、倫理的課題など、様々な専門知が求められます。
こうしたときに、それぞれの専門家が自分の正しさを主張するだけでは、合意形成はできません。
社会問題は市民ひとりひとりの問題でもあり、専門外の知識とも向き合わなければなりません。
その時に必要になるのが、他分野から学ぶ姿勢です。
自分の専門での問題枠組みとは違う、他分野の価値観、問題意識を知る。
お互いの認識方法の違いを知った上での対話が求められます。
「わかりやすい」パラダイムからの脱却
いざ専門外の勉強をしようと思った際に、薄い入門書系の本(わかりやすい!とか、マンガでわかる!とか)から入ることが一般的だと思います。
大学生の多くが読書しない、社会人のほとんどが勉強しないと言われる現代社会では、読まないよりは、まず読んでみるということは重要なきっかけになり得ると思います。
しかし、「わかりやすさ」を重視した本では、論理立てて説明する必要がある事柄を簡略化してしまい、誤解や曲解、無理解につながってしまう可能性があるといいます。
情報が氾濫するこの時世では、「わかりやすい」ことを求めることは必然と言えるかもしれません。
しかし、他分野を理解しようと思ったときに、そのような表層的な理解に留まっていては、結局他分野との架け橋をつなぐことはできません。
筆者は「わかりやすさ」を過剰に求める傾向のことを「わかりやすい」パラダイムと呼び、それだけに囚われない学術のあり方を提起します。
もちろん分かりやすいことが不要という訳ではありませんが、情報の受け取り手も理解する努力をし、お互いに歩み寄る営みが重要だと言います。
私のあるべき姿勢・・・根気を持って学ぶ!
私自身は未だに自分の専門さえ満足に語れない、半人前の研究者です。
私のやるべきことは、まずは自分の足下固めであることは間違いないと思います。
しかし私のやりたい領域、地域福祉を中心としたコミュニティづくりは、様々な関係領域のことも理解して取り組まなければなりません。
時間が許す限り、他分野の読書もするように心がけていますが、難しい本は途中で諦めてしまうこともしばしばあります。
この本は、「わかりにくい本」とは、根気と好奇心を持って丁寧に読めば、大枠は分かるはず、と言います。
そうは言っても、その根気が持たないんだと思う気持ちもありますが、それは別のところで学びます。
「わかりやすさ」を求めるだけでなく、難しいものにも根気を持って向き合いたいと、気持ちを新たにしました。
仕事やゼミの発表などのTo doに圧迫される毎日ですが、自分の糧となる勉強時間も確保し、精進していきたいと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「チーズはどこへ消えた?」から人生を振り返る
スペンサー・ジョンソン「チーズはどこへ消えた?」は、ビジネスマンにお勧めされることが多い、物語をベースにした本です。
私もいつか読んでみたいと思っていたところ、KindleUnlimitedに入っていましたので、読んでみました。
短いストーリーの中から様々な教訓が得られる本ですが、私は自分自身の人生のビジョンを考えるきっかけをもらいました。
チーズはいずれなくなる
一般的にビジョンは抽象度が高く、そのための手段は具体的なものを置きます。
例えばビジョンは「福祉について多くの人に知っていただく」こととして、手段として「福祉について発信するブログを書く」こととします。
そしてそのブログが大人気になり、莫大な収入を得たとしましょう。
これが、「チーズはどこへ消えた?」におけるチーズです。
しかし、しばらくするとブログは段々読者が少なくなり、収入は落ち込んでいきます。
でもまだ大丈夫、まだ稼げてるから・・・と言って続けていると、あっという間に収入は0になってしまします。
収入が無くなってからも、いつか読者は帰ってくるはず、新しいことをやる方がリスクだと言って、ブログを続けようとするのが、「チーズはどこに消えた?」における「ヘム」という人物の考え方です。
お分かりの通り、いつまで経ってもチーズは戻ってきません。
ここで早めに見切りを付けて、例えばYouTubeとか、新しい発信方法に移行していけば、新たなチーズにいち早く出会うことができます。
「チーズはどこへ消えた?」ではスニッフというキャラが、新しいチーズをいち早く探しに行く様子が描かれています。
チーズはいずれなくなるのだから、早めに新しいチーズを探しに行こう、という教訓が読み取れると思います。
ビジョンを忘れてはいけない
スニッフは、今食べているチーズがもうすぐ無くなってしまうことを察し、いち早く新しいチーズを探しに行きました。
たとえで言えば、ブログではなくYouTubeで発信することを始め、先行者利益を享受しています。
しかしその時、「福祉について多くの人に知っていただく」というビジョンを忘れてしまっては元も子もないでしょう。
あくまでビジョンのための手段として新しい方法をとり、その結果としてお金がついてくる、ということが望ましいはずです。
自分自身の人生を振り返って
私自身、社会人から一念発起して専業学生になりました。
しかし、私にとってのビジョンはなんだったのでしょうか。
職場が嫌だったからやめた訳ではないですが、はっきりとしたビジョンがあった訳ではありません。
今大学院修士課程1年が終わろうとしている中、今後どのような道をたどって生きていくのか、考えなければなりません。
私自身の人生のビジョンはなんだろうか。
「チーズはどこへ消えた?」と悩む以前に、私にとってのチーズはなんだったのか。
「福祉について多くの人に知っていただく」ことはもちろん大事ですが、私の人生のビジョンとまでは言えない気がします。
名著から自分の生き方を振り返るきっかけをもらいました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
なぜ僕はブログを書くのか
前々回の記事で、アウトプットに本格的に取り組んでいきたいということを書きました。
それをどうやっていくかと改めて考えましたが、やはりこのブログを続けたいと思いました。
動画や音声などのメディアが発達している現代社会では、わざわざ文章で発信しようと思う人は少ないかもしれません。
それでも僕は、今こそ文章書くブログをやりたいと思いました。
なぜならば、①文章は論理的に伝えることができ、かつ②ブログはいつでも・どこでもできるからです。
今回は、なぜ今僕が最近注目が集まっているYouTubeやPodcastではなく、ブログに取り組むのか、皆さんにお伝えできればと思います。
文章は論理的にデザインできる
論理的に物事を伝えたいと思ったときに、文章は相性がいいと感じています。
「自らの主張がたしかな理由によって裏付けされた」ときに、文章は論理的であるといいます(古賀2012)。
主張・理由・それを裏付ける事実が適切に配置されてこそ、論理的に伝えることができます。
文章では、この配置を何度でも吟味することができます。
切り貼りしたり、ちょっと言葉を代えてみたり、大胆に構成を変えてみたり。
他のメディアは、こうも簡単に編集できません。
もちろん音声や動画でしか伝えられない、声のトーン、表情など言葉以外の情報も、理解する手助けになることがあります。
しかし、こと論理的に伝えるとなったときには、文章に一日の長があると考えます。
言語以外の情報を捨象することで、論理に絞って情報を伝達することができます。
以上のように、論理的に伝えることは文章が有利なので、文章で伝えることを練習したいというのが、一つの理由です。
いつでも・どこでもできる
もう一つの理由が、時間や環境を問わずいつでもできることが挙げられます。
ブログを書こうと思ったときに、大層な機材は何も必要ありませんし、環境も何でもできます。
パソコンがなくても、タブレット端末でも、最悪スマホさえあれば文章は作れます。
朝でも夜でも、家でも出先でも、取り組むことができます。
忙しい日々の中で発信しようと思ったときに、ブログは思い立ったときに発信できる手段です。
スマホの進歩によって、いつでも動画撮影ができたり、音声を収録すること自体は可能です。
iPhone1台でYouTubeやPodcastに投稿する人もたくさんいると思います。
しかし、高クオリティーのものにしたいと思ったときに、高額な機材が必要だったり、収録環境を整える必要もあります。
ブログであれば、そういった機材や環境は必要ありません。
忙しい日々の中でも発信したい、そんな時にやりやすいのがブログだと思います。
ブログ投稿がんばります!
私は文章を通じてアウトプットをして、人とつながりたいと思っています。
もちろん、YouTubeやPodcastなども好きですし、よく見聞きします。
いつかやってみたい、とも思っています。
それでも今は文章を書きたいという思いを強く持っています。
論理的に伝えたい、どんどん発信したいので簡単にできるものがいいと考え、私はブログを選びました。
今振り返ってみると、私に影響を与えた話は、書籍から得たことが多いです。
私も誰かに影響を与えられるようなことを伝えたい。
そう思い、これから改めてブログで発信していくつもりです。
私の挑戦を見守っていただければ幸いです。
また一緒にブログをやる仲間ができたら嬉しく思います。
ブログの世界が盛り上がることを、期待しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
参考文献
古賀史健(2012)「20歳の自分に受けさせたい文章講義」星海社。
今回のブログは、この本で学んだ書き方を実践してみました。
過去に読んだことがある本でしたが、今読み返してみて改めて勉強になりました。
母がiPhone SE第2世代を買った話
昨日、母がスマホを機種変して、iPhone SE第2世代を買ってきました。
今までは京セラのAndroidを使っていたのですが、バッテリーのへたりや動作の重さから、機種変を決意したようです。
もともと何に機種変するのか悩んでいたようですが、Apple信者の私としてはiPhoneを激推ししたところ、iPhone SEにしたようです。
変える前も後も色々と質問される中で感じたことがあるので、まとめたいと思います。
キャッシュレス決済関連の引き継ぎが大変
母はキャッシュレス決済などを駆使してポイントを貯めまくっており、前のスマホにはいくつものキャッシュレス関連のアプリを入れていました。
QRコード決済関連はセキュリティの問題もあり、引き継ぐのには手間がかかったようです。
今やキャッシュレス決済が当たり前になり、基軸となるスマホが変わるのは大変のようです。
AndoroidからiPhoneへの移行が大変
母はiPhoneは使ったことがなく、ずっとAndroidスマホを使っていました。
私自身はスマホは最初からiPhoneしか使ったことがないので、機種変で苦労した記憶はありません。
Apple製品同士なら引き継ぎはすごく簡単ですが、Androidからの引き継ぎは自動化できないようで、一つずつ手動でアプリなどを入れたようです。
とはいえ、今の時代iPhoneでもAndroidでもほとんどのアプリが使えるため、結果的には問題なかったようです。
使えなくなってしまったのはnanacoカードくらいだそうです。
iPhoneの使い方に慣れない母は、アプリのダウンロード方法から壁紙の変更方法まで、何でも聞いてきます。
一つずつ答えるのは手間ではありますが、私の誘いでiPhoneへの移行を検討してくれたので、対応しようかと思います。
母の世代(50代)で新しいことを吸収しようと思えるだけ、よしとしたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
アウトプット大全を読んで
樺沢紫苑「学びを結果に変える アウトプット大全」を読んで、改めてアウトプットで大事だなって思いました。
このブログは2020年6月頃に開設し7月途中まで、19記事を投稿しましたが、自分としては手応えがなく、いつの間にか辞めてしましました。
でももう一度、文章での発信に挑戦したいと思えたのは、この本のおかげです。
具体的なアウトプット方法について、考えてみました。
話す:オンラインサロンでの発信、音声コンテンツの発信
本書によると、第一のアウトプット方法は「人に話す」ことだそうです。
私は、実はこのブログの投稿を辞めてしまった7月、あるオンラインサロンに加入しました。
大学院生活も夏休みに入り、人と話す機会が更に減ったため、人とのつながりを求めてのことです。
このサロンでは、動画や生配信を介した交流が盛んです。
私も動画や生配信をしていますが、これに更に力を入れていきたいと思いました。
サロン以外では最近音声コンテンツに注目が集まっていますが、発信は簡単なので、いつか挑戦したいと思っています(これについてもいつか記事を書きたいです)。
書く:ブログ復活
第二のアウトプット方法は「書く」ことです。
私は大学院生のくせに、文章で伝えるのがあまり得意ではありません。
書く文章はかたいと言われ、読んでもらう機会も、評価していただく機会もほとんどないのです。
だからこそこのブログで、文章を書くことになれていきたいと思います。
公開ブログとは言え読む人は少ないかもしれませんが、とにかく書いて、人に知ってもらう方法は後でもいいかなと思っています。
実行:充実した毎日!
第三の実行では、学んだことを実際にやることが求められます。
私の場合、日々の生活の改善、特に学びのサイクル改善を実行していきたいです。
どうしてもグダグダしてしまう時間が長くなっていますし、なんとなく時間が過ぎてしまうことも多い毎日です。
インプット・アウトプットで時間を有意義に使って、生活にメリハリをつけていきたいと思います。
本書では、話す・書く・実行という3つのアウトプット方法が紹介されています。
インプット偏重からアウトプット重視へ、学びの好循環を作れるよう、がんばっていきたいと思います。
また明日も記事を書けるよう、続けていきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
文系大学院生の曜日感覚
大学院生の生活は、社会人の時とはまた異なった曜日感覚があると思います。
社会人を経験してから、昼間の文系大学院生になった私が感じている曜日感覚について書きます。
社会人の曜日感覚
社会人の場合は、ほとんどの人が月曜日から金曜日が勤務だと思います。
シフト制の人は例外だと思いますが、私は基本月曜日から金曜日仕事して、土日はたまに仕事が入る程度でした。
日曜日の夜は「明日から仕事やだなあ」と思い、水曜日には「まだ半分かあ」と思い、金曜日には「ようやく終わった」と思っていました。
土日に仕事があるときは更に憂鬱さが増しますが、基本はこのサイクルを永遠に繰り返します。
大学院生でも曜日感覚自体はある
昼間の大学院生の場合は、修士1年ではそこそこ授業があります。
私は現在月・火・木・金に授業が1〜2コマあります。
そのため今日が何曜日で・・・という感覚自体はあります。
しかし、なにか仕事をしていた時とは違うなあと思っていました。
日曜夜の憂鬱からは解放される
何が違うのかと考えたところ、月曜日になっても仕事がないから、日曜日の夜にそこまで憂鬱にならないことに気づきました。
多くの社会人は、月曜日からの仕事から現実逃避をして、週末の休みがずっと続けばいいのにと思ったことがあるではないでしょうか。
大学院生でも月曜日になると授業はありますが、授業を受けるだけなのでそこまで気分は下がりません。
日曜日の夜も、普段の夜とあまり変わりない夜に感じます。
代わりに、いつも課題に追われる
それじゃあ楽なばっかりかというと、そうでもありません。
大学院生は授業は少ないですが、その分授業の予習、発表の準備、自分の修士論文の準備に追われます。
また学外でアルバイトやなにかしらの活動をしている場合は、その作業もあると思います。
こうした作業は必ずしも平日の昼間にやる必要があるものではないため、夜だろうが休日だろうが取り組めます。
私も昼間に休んだり趣味のことをして、夜に作業をすることも多いです。
日曜日の憂鬱がなくなり代わりに、金曜日の解放感もありません。
文系大学院生の日常は、本とパソコンと向き合う日々です。
特に今はリモート授業なので、ひたすら家にひきこもります。
全く暇ではないし、やることはたくさんあるのですが、何か平坦で物足りない毎日にも感じます。
せめて、早く大学に通えるようになりたいものです。
今回の内容は私個人の感じたもので、感覚は人によって異なると思います。
また理系など別領域では全く違う生活かもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。