「わかりやすい」パラダイムからの脱出ーーー鈴木哲也「学術書を読む」

学生でなくても、誰もがなにがしかの「自分の専門」を持っていると思います。

もちろんその「専門」を突き詰めていくことは大事ですが、「専門バカ」に陥らないためにも、他分野の勉強をすることも必要になります。

ではどのように他分野を学べばいいのでしょうか?

鈴木哲也「学術書を読む」を読み、他分野との向き合い方、そして「わかりやすい」ことの危険性を考えました。

 

他分野を学び、対話に備える

現代社会は、福祉に限らず防災、環境、教育などなど、数え切れないほどの社会問題があり、その解決策を実行していくための合意形成をしなければなりません。

例えば児童虐待の問題を考える際には、福祉的視点だけでなく、教育上の課題、法学的課題、倫理的課題など、様々な専門知が求められます。

こうしたときに、それぞれの専門家が自分の正しさを主張するだけでは、合意形成はできません。

社会問題は市民ひとりひとりの問題でもあり、専門外の知識とも向き合わなければなりません。

 

その時に必要になるのが、他分野から学ぶ姿勢です。

自分の専門での問題枠組みとは違う、他分野の価値観、問題意識を知る。

お互いの認識方法の違いを知った上での対話が求められます。

 

「わかりやすい」パラダイムからの脱却

いざ専門外の勉強をしようと思った際に、薄い入門書系の本(わかりやすい!とか、マンガでわかる!とか)から入ることが一般的だと思います。

大学生の多くが読書しない、社会人のほとんどが勉強しないと言われる現代社会では、読まないよりは、まず読んでみるということは重要なきっかけになり得ると思います。

しかし、「わかりやすさ」を重視した本では、論理立てて説明する必要がある事柄を簡略化してしまい、誤解や曲解、無理解につながってしまう可能性があるといいます。

 

情報が氾濫するこの時世では、「わかりやすい」ことを求めることは必然と言えるかもしれません。

しかし、他分野を理解しようと思ったときに、そのような表層的な理解に留まっていては、結局他分野との架け橋をつなぐことはできません。

筆者は「わかりやすさ」を過剰に求める傾向のことを「わかりやすい」パラダイムと呼び、それだけに囚われない学術のあり方を提起します。

もちろん分かりやすいことが不要という訳ではありませんが、情報の受け取り手も理解する努力をし、お互いに歩み寄る営みが重要だと言います。

 

私のあるべき姿勢・・・根気を持って学ぶ!

私自身は未だに自分の専門さえ満足に語れない、半人前の研究者です。

私のやるべきことは、まずは自分の足下固めであることは間違いないと思います。

しかし私のやりたい領域、地域福祉を中心としたコミュニティづくりは、様々な関係領域のことも理解して取り組まなければなりません。

時間が許す限り、他分野の読書もするように心がけていますが、難しい本は途中で諦めてしまうこともしばしばあります。

 

この本は、「わかりにくい本」とは、根気と好奇心を持って丁寧に読めば、大枠は分かるはず、と言います。

そうは言っても、その根気が持たないんだと思う気持ちもありますが、それは別のところで学びます。

「わかりやすさ」を求めるだけでなく、難しいものにも根気を持って向き合いたいと、気持ちを新たにしました。

 

仕事やゼミの発表などのTo doに圧迫される毎日ですが、自分の糧となる勉強時間も確保し、精進していきたいと思っています。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。